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幼いころ~3歳くらい



幼い時の思い出




こ~いちの母親は、私の母の妹。

つまり私はこ~いちの従姉弟のねーちゃんである。

なので、こ~いちは私のことを今でも「○○子ね~ちゃん」と呼び、

嫁さんの義子さんまでも同じように呼ぶ。


私も変わらず「こ~いち」と呼ぶ。




八段の大先生に対して、ちょ~っと失礼かもしれないなぁと思いつつ、


どんな肩書きになろうと、私の中ではこ~いちはこ~いちである。







私たちの母親たちは4人兄弟。長男の伯父、うちの母、こ~いちの母、次男の叔父。

兄弟の中で女兄弟の二人だったこと、そして彼らの父母(私たちの祖父母にあたる)が早くになくなっていたことから、

より親密に付き合っていたようだ。


特にうちの母にとっては、妹の母代わり的な思いがあったようで、

よくこ~いちは家に来ていたような気がする。







私と弟、こ~いちとはちょうど3つずつ違う。


こ~いちが生まれた時のことは、残念ながら私は覚えていない。


だけど、ち~ちゃい頃はよく泣いてた、泣き虫こ~いちの印象がある。


色が白くて、小さくて、天然パーマで、

つむじがおでこにくるりんと巻いてかわいらしいっ!って感じ。

>今からはきっと想像がつかないと思いますが、かなりプリティでした(笑)


当時は誰もがそうだったと思うけど、手作りのニットの洋服を着てちょろちょろしていた。







け~ちゃんの生まれる時のこと




こ~いちの弟、け~じが生まれる前後半年くらい、
こ~いちはしばらくうちにステイしていた。3歳くらいだったのかな。

うちは佐世保から父の仕事の関係で、福岡に来ていて、団地住まいだった。

私9歳、弟6歳、こ~いち3歳。かな。(うろ覚え)



この頃のこと、私は妙に覚えている。

日常遊んでは居ても、ベビー的な子どもと生活を共にするなんてことが初体験である。

子ども3人で寝てみたのはいいが、夜中体温が上がると体が痒いといっては泣くこ~いちに、
子どもの私はめちゃくちゃ驚いた。

だって、その当時一度寝たら途中で起こされることなんてなかったんだもん。

こ~いちにしても、なれない環境に戸惑っていたんだろう。

今となっては絶対覚えてないと思うけど。



弟の水泳教室に一緒に見学に連れて行って、

帰り、バスに乗り遅れる~と「走れ~」って走らせたけど、
そこは幼い子どもの足。焦ってこけてしまったこ~いち。
「え~ん」と泣かせちゃいました。
ごめんね、ね~ちゃんが悪かったです。
今更ですが、懺悔します。許してね。

こんなこと、覚えている私も、かなりこういう経験が強烈だったんだろうなぁ。



当時はやっていた「傷だらけのローラ」By 西城秀樹 がだいすきで、

西新のお店でわざわざレコードを購入。
何度もかけては振りつきで踊っていたのが妙にかわいらしかったなぁ。
確か実家に写真あり。

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